読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

Nanpa is Suicide

誰でも読めるが、誰にも読めないブログ。

自己憐憫論―引きこもり、自殺、依存

自分

自分のことについて書きます。

ナンパの話ではありません。つまらないので読まないでください。

 

最近、自分のことを振り返ることが多い。

それはナンパを始めて、「どうしたらこんな自分が女性から相手にされるようになるのか?」それをこの4か月間ほど、考え続けてきたからだと思っている。また、新しい様々な出会いがあったからだとも思う。それは、ナンパした女性たち、同じナンパ師の方々、twitterやブログで僕に興味を持っていただいて、僕に会いたいと言ってくださった方々との出会いが、僕に自分について考えるきっかけを与えてくれた。

そして、その中で、自分のことについてお話しさせていただく機会を与えられた。こんな機会は、今まで僕の人生の中でなかったことだ。それでいろいろ自分について考えさせられたので、そのことについて書こうと思う。考えたことは、3つある。

 

引きこもりについて。

僕は引きこもりでした。中学2年から高校3年まで引きこもりだった。14歳から18歳まで引きこもっていた。中学受験で私立の中高一貫校に通っていたが、その学校で中2の夏ごろから、徐々に不登校になり、高校1年になった時にその学校を中退、埼玉の不登校の子どもばかりが集まる高校へ編入した。そのころから、精神科に通院して、薬を飲んでいた。その高校でも僕は不登校状態だった。ほとんど高校へは行かず、送られてくる課題をこなしながら、なんとか高卒資格を取った。それから1年浪人して大学に入った。予備校時代は、忘れ物の筆箱を走って届けてくれた女の子と一度だけ会話しただけで、教室には存在するけれども、精神的引きこもり状態だった。これが僕の引きこもり遍歴だ。

こんな感じで5年間ほど引きこもっていた僕だが、

最近お会いしたある方に、「君はなんで引きこもったの?」と聞かれた。

僕はその方の質問に困ってしまった。僕は「わからない」と答えた。すると、その方は、「いや、わからないはずがない」と言われた。僕はますます困り、黙ってしまった。なぜなら、本当に「わからなかった」からである。僕は、何年も自分が引きこもった理由について、考え続けてきた。それを医者やカウンセラーに言うと、「そんなことは考えてもわからない。今をよくすることだけを考えなさい」と言われていた。だから、それは考えてもわからないものなんだとずっと思っていた。だから、その方の「わからないはずはない」という言葉は、僕を困惑させたのである。

でも、少し考えてみれば、普通の人にとっては、引きこもる人には、引きこもった理由が必ずあるはずで、その理由を突き止めないと問題は解決しない。引きこもった理由が「わからない」というのは、それを考えることから逃げているに違いないのだ。普通の人は、多分こう思うんだろうなとその時思った。その方がこんなふうに考えていたかどうかはわからないし、善意でおっしゃてくれたことだけど、この時、僕は初めてディスコミュニケーションというものをはっきりと感じた。そう、はっきりと。

善意ある「わかりあえなささ」

悲しいけど、人生はこういうことの連続かもしれない。だから、他人に求めてもしょうがない。善意の形に、こだわってはいけない。その方のおかげで、僕はまた少し大人になれた。

その方と別れた後、電車の中で、もしまた誰かに「君はなんで引きこもったの?」と聞かれた時に、どう答えるべきか考えた。

まず、思いついたのは、定式化された答え。

たとえば、「同性集団の中で、コミュニケーションがうまくとれなかったから」あるいは、「学校に不適応を起こしたから」など、頭のよさそうな答えが思い浮かんだ。でも、なんか嘘っぽい。いかにも用意してきたという答えだ。

引きこもりやうつ病を経験した人の中には、「自分がなぜ引きこもり/うつ病になったか」を、まるで物語を語るかのように、流暢に語る人がいる。さらには、その物語がいかに悲惨であったかを、他人にアピールして、他人の気を引こうとする人がいる(僕はそういう行為をよく「愁訴」と呼んでいる)そして、そういう「愁訴」の声を同情と憐みで迎え、依存させようとするダメな大人がたくさんいる。

僕はそれらに対して、本人たちの好きにすればいいと思う。だけど、僕は個人的には、そういう「用意してきた言葉」を使うことは好きではない。かつては僕もそういうことをよくしていたが、「用意してきた言葉」は必ず「愁訴」に繋がってしまうと思う。自分より弱い人間を探し回っている依存させたがり屋を、それで引き付けてしまう。僕はそう思っている。だから、この定式化された理由説明は、使えない。

次に思いついたのは、もっと素朴に、「友達がいなかったから」や「親が過保護で性格がおとなしかった」などである。

「友達がいない」

これもよくわからない。確かに友達は少なかったけど、僕は友達の輪の中にいても、何か「いたたまれない」気持ちに苛まれていた。他人と「なんか居づらい」感覚が中学生くらいから、常にあった。こういう感覚は、思春期になって自我が強くなっていくつれて、誰もが少なからず経験することかもしれない。

「周りに比べて僕は…」「僕はどこにいれば…」というあの胸が苦しくなる感覚。

僕は、その感覚が強すぎたのかもしれない。でも、それもよくわからない。僕は自分が敏感で繊細な感覚を持っているとは思わないし、ただイヤなことから逃げていただけかもしれない。僕は何がイヤだったのだろう。

「親が過保護」

引きこもった理由を、親のせいにする説明は多い。多くは、悲惨な家庭環境で親がろくに教育をしなかったせいか、あるいは、裕福ではあるが過保護な親のせいか、そのどちらかが多いと思う。僕の親は、多分過保護だと思う。それが僕を弱くさせたのかもしれない。それで親を憎んだ時もあった。しかし、重要なのは、「誰のせいか?」という犯人捜しではない。問題は「僕が引きこもった理由」は何かだ。親のことも引きこもった理由に何らかの形で関わっているけれど、それがいったいどういうふうに関わっているのか。それはやっぱりよくわからない。

僕はこんなふうに、いろいろと考えてみたけど、結局考えれば考えるほどわからなくなった。自分でもこんなによくわからないんだから、他人にわかってもらうなんてできるはずないんだなと思った。

でも、強いて答えるとすれば、

「僕はいろいろと、弱いからです」

と答えられるかなと思う。とりあえず、持ちこたえる力が僕にはないようだし。あるいは、依存的なやり方だけど、「僕はなんで、引きこもったと思いますか?」と相手に聞いてみるのもいいかもしれないと思った。相手が僕に持った引きこもりぽっい印象に、多分引きこもった理由の一端があると思うから。

 

自殺について。

僕は、中3の時に自殺を試みたことがある。当時、保健室登校をしていた僕は、その保健室にあった消毒液を飲もうとした。少し飲んだら、保健室の先生が帰ってきて、そしたら、保健室の先生は少し驚き、僕を制止した。そのあと、すぐに担任の教師に連絡した。保健室の先生は、とても冷静であった。僕はその間に、そっと学校を出て帰宅した。家に帰ると、親がとても騒いでいた。担任の教師が、僕を車で家まで送ろうしていたが、僕がもう学校からいなくなっていたので、探していたそうである。それで、親から怒られた。それで騒動は収まった。

これが僕の初めての自殺騒ぎ。それは、意外にもあっさりしていた。教師も親も僕も、なんだか淡々としていた。僕は、中3の時は、ほとんどその保健室で寝ていた。精神科から処方された薬を飲んでいたので、眠くて眠くて授業に出ることができなかった。毎日、学校に寝に行っているようなものであった。ずっと、保健室の白く細かい穴があいた天井を見て過ごしていた。退屈すると、ベットの中でゲームしたり、オナニーしたりしていた。保健室の先生は、きれいな女性だったので、すごくドキドキしながらオナニーできた。それが、唯一の楽しみだった。先生は、僕がオナニーしていたことに気づいていたかどうかは、わからない。でも、多分気づいていたと思う。

そんな日々の中で、僕は唐突に自殺を試みた。

多分、本気で死にたがっていたわけではないと思う。この消毒液を飲めば、この日常が変わるかもしれない。魔法の薬を飲むような感覚で、飲んだのだと思う。しかし、日常は何も変わらなった。親も教師も保健室の先生も僕も、次の日から何事もなかったかのように、過ごしていた。何をしても、もとにもどってしまう粘土のような、そんな日常が一生続くのではないか。自殺すらも、それを打ち破れない。僕は怖くなった。でも、薬を飲んでいたから、またすぐ眠くなって、その恐怖すら忘れてしまう。この学校を辞めるしかない、その時そう思った。

この自殺騒動の少し後、僕は学校を辞めた。

辞めるとき、保健室の先生に最後の挨拶をしに行った。親は、お世話になりましたといって、菓子折りを渡していた。結局、引きこもろうが、自殺をしてみようが何だろうが、親も教師も学校も社会も、そして自分自身も、何も破壊できない。僕は、そう思いながら、学校を中退した。

僕の中では、自殺は、どうってことない行為だと思う。不謹慎だが、そう思う。日常から抜け出すための跳躍には、ならない。しかし、逃げだとも思わない。それは、宮台さんふうに言えば、逃げの根源的不可能性とでも言おうか。哲学ぽっくて、なんだかわかるようでわからないけど、そういうことだと思う。

学校は辞められても、「私は私を辞められない」ということ。

「ここではないどこか」と「僕ではない誰か」を、僕はあきらめた。

 

依存について。

編入した先の高校で、僕にはある出会いがあった。それは、スクールカウンセラーの先生との出会いである。

この高校は、生徒のほとんどが不登校の子どもだった。リスカしている女の子から、DQNの男の子まで、いろんな子どもがいた。僕は、前の学校が進学校だったせいか、うまく適応できなかった。多分、プライドの問題だったと思う。僕は、彼らを見下していた。分数の計算もできない、「閉まる」の漢字も読めないのかと。そんな小学生レベルのこともできないのかと。すごくバカにしていた。愚かだったと思う。僕は、彼らと「同類」だと認めたくなかったのである。だから、近所の人に「どこの学校行っているのか?」と聞かれても、前に通っていた進学校の名前を言っていた。この学校は、私服の高校だったから、近所の人に見れてないように、いつもこっそり人目を気にしながら、登校していた。しかし、やっと学校にたどりついても、そこに僕の居場所はなかった。

そんな中で、出会ったのがスクールカウンセラーの先生であった。

彼は、初めて僕を承認してくれた他人であった。僕は彼から認知行動療法という心理療法を施してもらった。それがどんな心理療法だったか。それはよく覚えていない。だけど、その治療の途中で、先生から「君は抽象的な思考が得意みたいだから、哲学とか向いてるかもしない」と言われた。それで、プラトンの『国家』を読んでみるように進められた。僕は、言われた通りに読んでみた。あまり面白くなかった。でも、後日のカウンセリングで、彼に読んだ感想を言うと、とても褒めてれた。僕は、うれしかった。他人から褒められたのは、小学生以来だった久しぶりのことであったから。

それから、彼から承認されることが、僕の全てになった。

彼に褒められたいから、次々に哲学の本を読んだ。授業に出ずに、ずっと図書館に籠っていた。そして、読んだらすぐ彼のところに行って、褒めてもらった。読んでいない本、読んでも理解できない本でも、読んだと嘘をついて、褒めてもらった(スクールカウンセリングでは、子どもが虚言を言っていても、それを指摘せずに傾聴するのが普通である)

しかし、それで、僕は周りをますます見下すようになり、学校で孤立を深めた。学校へ行っても、彼以外の誰とも会話しない日々が続いた。多分DQNたちにすごく嫉妬していたんだと思う。彼らは、分数の計算もできないし、ましてやプラトンなど読まない。でも、彼らはいつも女の子を連れている。学校が山奥だったので、よく授業を抜け出して、山に登ってぼんやりとしていると、彼らがセックスしているところに遭遇した。遭遇した時は、僕は走ってその場から逃げた。たまに、使用済みのコンドームが落ちていた。僕は何を思ったのか、そのコンドームをカバンに入れて持ち帰った。それで、このコンドームを使ってどんなことをしたのだろうと、想像を膨らませていた。

そんな鬱屈した日々。僕の世界には、彼しかいなかった。彼の言葉が、絶対だった。僕は、いつも彼の部屋に行っていた。だから、僕は、高校時代に記憶と言えば、彼と過ごした時間しかなかった。完全に彼に依存していたと思う。世界で彼しか僕を理解していない。そう思っていた。

それから、5年後、僕は彼と再会した。教育実習で再会したのである。

でも、僕は教育実習でも、彼のところにしか居場所がなかった気がする。僕は、結局何も変わらなかったのだろうかと思っていた。そんな中、彼が講師をするメンタリング(心理学を用いた指導方法。コーチングのようなもの)の会に参加した。それは、僕にとって、衝撃的な出来事だったのである。

彼は、僕を聴衆に紹介してくれた。それはこんな紹介であった。

「彼が、僕のメンタリングの被験者です。僕と彼の関係は、メンターとメンティでした」

彼のこの言葉は、僕に衝撃を与えた。

彼にとって、心理学の実験の被験者だったのある。つまり、普通の人間的な関係ではなかったのである。僕はショックだった。そして、同時に気付いた。僕は彼がどんな人間かまったく知らなかったということを。

その会の数日後に、彼の部屋に行って少し話をした。そして、ずっと聞きたかったことを聞いてみた。

「カウンセリングなどの心理的なテクニックを使う人は、対人関係で不安を抱えている人が多いんですか?」

と聞いてみた。すると彼は、

「うん。そういう人もいるかもしれないね。でも、俺は、カウンセリングに興味があっただけだよ」

と答えた。

それから、彼が用事で少し部屋から出た。その間に、僕は彼の部屋を見渡してみた。何度も訪れた彼の部屋…思い出に浸っていると、本棚に目が行った。1m以上ある大きな本棚に、心理学の本がたくさん詰まっていた。ふと、カウンセリングの技術について書かれた本を手に取った。その本をパラパラと開いてみた。そこにアンダーラインが引いてあるページに目が留まった。

「カウンセラー自身の劣等感と向き合うことが大切であり…」

そう書かれていた部分に、黒い鉛筆で引かれたアンダーラインがあった。

彼も戦っていたんだなと思った。そう思ったとき、僕は、もう彼に会うことはやめようと決めた。彼が戦っているように、僕も戦わなければならない。そう思った。

 

さいごに、自己憐憫について。

多分、人は、自己憐憫と自己戦いを繰り返しながら、生きていくんだなと思う。自分を憐れむことは、気持ちいいこと。それを他人が見てくれれば、さらに気持ちいいこと。それも時にはいいと思う。僕は、弱い。それが振り返ってわかったこと。でも、どんなに弱くても、戦いからは逃げられない。逃げがれないからこそ、弱くても戦う。

弱い僕は、そうすることにした。