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Nanpa is Suicide

誰でも読めるが、誰にも読めないブログ。

ナンパ講習をしてみて考えたこと。あるいは、他人のことは何もわからない

ナンパ講習

ナンパ講習をしてみて考えたこと。

 

僕は様々なナンパ講習を受けてきた。

他人が自分のナンパ講習に申し込んできて、出会い、話をして、一緒にナンパする。

ナンパ講習なんて、ただそれだけのことにすぎない。やろうと思えば、誰でもできることだ。他人にナンパを教えてみて、なんで自分がナンパ講習を受けていたのか考えていた。

さっきも言ったように、ナンパ講習に行ったところで、別に特別なことを教えてもらえるわけではない。ただナンパをする時に、他人に後ろにいてもらうだけだ。なのにどうして、僕はお金を払ってまでナンパ講習を受けていたのだろう。

多分、自分で考えることがめんどくさかったんだと思う。ありきたりかもしれないけど、今はそう思っている。誰かに導いてもらいながら、街を歩く。それには独特の心地よさがある。

誰かが自分を見ていてくれる。それでいいとか、それではダメだとか、言ってくれる。自分で自分のことを考えることを、僕は拒絶していた。

要するに、僕は、自分を見てくれる他人を求めていただけなのかもしれない。僕にとっては、ナンパ講習なんてただそれだけのことだったと思う。

だから、僕は、自分にナンパを教えてくれる人のアドバイスは、ほとんど聞いていなかった。むしろ、彼らのアドバイスに反発すら覚えておいた。

 

人は、他人のことは何もわからない。

ナンパ講習をしてみて、それを実感した。それは、当たり前のことかもしれない。今更わかったのかと思うかもしれない。

しかし、ナンパ講習は、人生のリアルを生々しく見せてくれる。ナンパ講習には、塾講師のアルバイトなどと比べものにならないほどの、圧倒的なリアリティがある。この人は、どれだけ自分の人生に対して必死であるのか。それをありのままに示してくれる。

ナンパをする人の、そのありのままの姿と、彼のどうしうもない悩みは、僕に他人と自分のあいだにある境界線を、はっきりと見せてくれる。

自分と他人のあいだには、決して超えることができない境界線がある。ナンパ講習は、決して見ることができない、飛び越えることができない向こう側に他人がいるということを、僕に教えてくれる。

 

「女性と話を続けることができない」

「はじめになんて声をかけてよいかわからない」

「どんな服を着ればいいかわからない」

「女性とのつながりを感じられない」

「なかなか成果が出ない」

「地蔵になってしまう」

 

なるほど、そうか…そういうことにあなたは悩んでいるのか。でも、なんで?いったいどうしてそんなことに困っているのか。あなたの悩みは、僕もかつて悩んでいたものだ。今も悩んでいるかもしれない。

だから、そういうことに悩んでしまうことはわかる。ナンパをする人は、みんな悩んでいるだろう。他人とコミュニケーションをとる時に、誰もが悩むことだろう。

 

「どうすればいいいですか?」

 

悩みの告白の後には、直接的にも間接的にも、この問いが必ず出てくる。

 

「なら、こうしたらいいですよ」

 

僕は、こう答えてしまう。しかし、このアドバイスは、「僕ならこうしますよ」と言っているだけにすぎない。人は、他人のことはわからない。だから、自分がどうしてきたかを、ただ伝えることしかできない。

偉そうなこと言ってしまうけど、教える人間は、そのことに無自覚であってはいけないと思う。自分のしていることに繊細であればあるほど、他人にも繊細なアドバイスができると思う。

しかし、どんなに繊細なアドバイスであっても、その人の悩みの解決にはならない。なぜなら、人は他人のことはわからないからだ。教える人間は、その人が自分で考えて、自分なりの解決策を出せるようにしてあげなければならない。

 

「女性を楽しませることが大切だ」

 

この言葉は、多くの場合正しいと思う。特にナンパでは大切なことだ。先に相手に与えない限り、他人から自分のほしいものを引き出すことなんてできない。確かにそうだ。でも、このあいだまで童貞だった人や、僕のように引きこもりだった人に、この言葉をそのまま伝えても意味はない。小学生に微積分を教えるようなものだ。教えていることにはならない。

人の成長には段階がある。そして、成長の仕方は人それぞれ違う。それは、自分だけのものだ。個性とも言えるかもしれない。

このような人の成長のあり方を、教育学では「発達段階」と言う。発達段階とは、人には、その時期にその人にふさわしい課題がある。そして、人は、その課題を乗り越えることで、発達する。

だから、他人ができることは、その人の成長を大切に見守ることだけだと思う。つまり、教える人間は、その人の成長を妨げる障害物を少し取り除いてあげることしかできない。それ以上のことをしてしまえば、それは洗脳になってしまうだろう。

 

「女性を楽しませることが大切だ」とすぐに言ってしまう人は、自分が社会的な価値に囚われていると表明しているにすぎない。ナンパという社会から逸脱する行為を教えている人間が、実は社会的な価値に囚われているという皮肉。ここに、ナンパビジネスの欺瞞がある。

自分がよいと思ってること、自分が今までしてきたこと、それを他人にまっすぐ伝える。その勇気があるのか。

隠さずまっすぐ伝えることから逃げた時に、ただの醜いナンパ野郎になる。そこに、美しいものは何もない。

 

今のところ、そんなことを考えている。

偉そうにすみませんでした。